今回は、『狂騒の1920年』と呼ばれた1920年代の歴史やファッションを、ざっくりと解説していこうとおもいます。
特に、アメリカの洋服が発展した直接的な影響は1920年代といわれていますので洋服が好きな方は是非、ご覧下さい。
1920年代の時代背景
第一次世界大戦による経済成長
第一次世界大戦(1914~1918)で、アメリカは兵器の生産と輸出を行い利益を得て好景気となります。
好景気となったアメリカでは、製造業等で、大量生産方式の開発を行い世界一の工業生産力を持つ巨大な国家へと成長しました。
成長したアメリカには、多くのものや文化が普及することになります。
1920年代に普及したもの一覧
- 自動車
- ラジオ
- 映画
- 自動車と自転車
- スポーツ
休日の過ごし方が活動的となる
スポーツやスポーツ観戦が流行したことにより、実際にスポーツをする際のファッションが模索されます。
日常的なファッションも機能的なものが求められました。
男子服にはスポーツシャツが現われ、女子にはシャツ、スカート、スラックス、セーターなどの日常着の原型があらわれたのもこの時期です。
女性の役割の変化
1920年に女性に参政権(憲法修正第19条)が認められて、政治的に平等になります。
参政権が認められる以前の女性は経歴を積むか、家庭を持つかのどちらかしか選択出来ない環境でした。
本質的に両方を追求することはできないという考えの人が多い時代です。
この考え方が20年代に変化し始め、より多くの女性が家庭を持つだけでなく、経歴で成功したいと望み始めました。
何故、考え方が変化したのか?
世界大戦で男性が軍に派遣され、人出不足となった製造業(自動車、鉄鋼業等)で、一時的に働くことが認められたことが関係しています。
若い女性が職を求めることや、職業訓練を受けることを奨励され、社会は少しずつ変わっていきます。
条件は楽ではありませんでしたが、1920年代の好景気は、より多くの働く機会を与えました。
禁酒法
様々な社会問題を軽減する試みとして、アルコールの製造、販売および輸出入が禁じられました。
これがいわゆる禁酒法です。
現代と比べて娯楽が少ない時代に、禁酒は結構きついものがあります。
禁酒法を逆手に取り、アル・カポネなどのギャング達がスピークイージーと呼ばれる違法な酒場を経営します。
スピークイージー
お酒を楽しむ人が多かった為、結果的にギャング達は資金を手に入れて勢力を拡大していきました。
都会ではスピークイージーが食事を提供し、ジャズの生演奏を行うという手の込んだお店もありました。
警察はスピークイージー運営者から賄賂を贈られ、襲撃が計画されているときは、前もって情報を流していました。
お酒を楽しむ人にとっては、スピークイージーでお酒を飲んで、ジャズの演奏を聴くのがステータスとなります。
ちなみにお酒が売れない禁酒法の時代に、広告ポスターによる販売戦略で売り上げをのばしたのがコカ・コーラだと言われています。
ファッション&娯楽
F・スコット・フィッツジェラルド
1920年代に流行した作家グレートギャツビーを書いた人といえば、分かる人も多いのではないのでしょうか?
当時のファッションアイコンでもあるフィッツジェラルドは、1920年に『楽園のこちら側』でデビューします。
その後、南部出身のゼルダと結婚して、いわゆるジャズ、エイジの時代を生きます。
1925年、フィッツジェラルドは小説『グレート・ギャツビー』を発表。
舞台はニューヨークの郊外ロングアイランド、毎晩、豪華絢爛なパーティーを繰り広げる、ミステリアスな大富豪の過去と秘められた思いを描いた作品。
映像化は5回されており、映像がゴージャスです。
フラッパー
フラッパーって何?
フラッパーとは、これまでの保守的な女性像とは違い、パーマをかけショートヘアで濃い口紅、肌を露出させながらジャズに合わせて社交生活を楽しむ女性のことです。
自由に羽をバタバタさせる様子を雛鳥(フラッパー)に例えられました。
大胆な水着姿で肉体美や脚線美を競い合う『美人コンテスト』が開催されたのも20年代です。
ちなみにフィッツジェラルドの妻ゼルダは、自他共に認めるフラッパーで、ゼルダとフィッツジェラルドは毎晩パーティに繰り出し原稿料を使い果たして享楽的な生活を送ったそうです。
今でいう、陽キャです。
トーキー映画
喜劇王『チャールズ・チャップリン』
1920年代までの作品は無声映画、いわゆる『サイレント映画』でした。
その時代に活躍した映画人が喜劇王『チャールズ・チャップリン』そして技術が発展して、1927年に初めて音声が付けられた、『トーキー映画』が登場します。
ちなみに世界で最初のトーキー映画は、『ジャズ・シンガー』です。
当時の雰囲気が分かる貴重な映画です。
アールデコ
1910年代から1930年代にかけて流行アールデコは、直線的で合理的なデザイン、原色の対比などが特徴の装飾様式です。
パリ万博のスペルが由来となっています。
当時の芸術やインテリアや建築、ジュエリーなどにアール・デコの装飾が流行し、一気に普及していきます。
代表的なアールデコ
1930年に建てられました。当時、世界で一番高いビルです。
完全にアール・デコですね。
クライスラービルの高さに対抗してエンパイアステイトビルが建てられました。
よく間違えられますが、キングコングが登ったのはエンパイアステイトビルです。どちらもアールデコ調で美しい。
ミッキーマウス
1920年代に誕生したキャラクターみんな大好きミッキーマウスも狂騒の20年代に生まれました。
ミッキーの得意なこと
- アメフト
- ダンス
- ギター
- ドラム
- ピアノ
なんかチャラいネズミと感じるのは僕だけでしょうか?
ジャズエイジ
ジャズ・エイジとは、1920年代の文化・風俗を指す言葉です。
F・スコット・フィッツジェラルドの短編集『ジャズ・エイジの物語』(1922年)から由来しています。
実際にジャズという言葉を聞くと、黒人が楽器を演奏しているイメージがありますよね?
しかし、当時のジャズという言葉には、音楽だけでなく色んな意味が含まれています。
まず最初にジャズという言葉は元々、黒人が使用するスラングでした。
始めにセックスや女性器を意味し、次にダンス、最後に音楽と意味するようになりました。
全てを含めるという意味で、F・スコット・フィッツジェラルドはジャズという言葉を使って短編集を作りました。
1920年代のファッションまとめ
1920年代は、男女共学の大学が始まり、休日は自動車でスポーツ観戦等といった、デートが一般的になった時代です。
それに伴い自動車や服装の利便性を追求し、犯罪を犯してまでスピークイージーでお酒を楽しみ、ギャングが権力を握ったりと享楽的な文化が発達した時代でもあります。
そして第一次世界大戦の恐怖への反動とラジオの普及、スピークイージーでのジャズ演奏が重なりジャズミュージックは、アメリカ国民の音楽となります。
ポイント
そしてこれらの文化は、1929年の世界恐慌により終焉を迎えます。
狂騒の20年代の終焉
今の生活様式の基礎が出来た華やかな20年代でしたが、過剰な設備投資や農業不振、株式への過剰な投資などの原因が重なり、1929年にウォール街の株価大暴落がおこり経済力はダウンし、不景気となります。
世界恐慌の始まりで華やかな20年代が長く続くことなく終焉を迎えました。
ポイント
しかし1930年代は、世界恐慌による影響で発達したファッションがあります。