今回の記事は、『NIKE(ナイキ)』です。
誰もが一度は、履いたことがあるスニーカーだと思いますが、その歴史は意外と1971年。
他のブランドと比べると、歴史が浅いように見えますが、中身は濃ゆく、スニーカーの質と技術の高さから爆発的に人気が出ました。
そんなNIKEのスニーカーの歴史をもう少し詳しく説明しながら人気のあるスニーカーを紹介していきます。
NIKEの歴史
1962
創業者のフィル・ナイトがオニツカタイガー(現在のアシックス)の品質と低価格を気に入り、オニツカタイガーのアメリカ販売権を取得したことから始まります。
1964
オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立。このBRS社の主な業務は、輸入販売と製品開発です。
1971
オニツカタイガーとの取引を終了し、独立します。
ナイキのロゴでもある『スウッシュ』がデザインされた最初のシューズ『NIKE』が発売。
そして、このタイミングで会社名も『NIKE』に変更しました。
名前の由来
ちなみに、NIKEという名前の由来は、BRS社の社員の夢に、ギリシャ神話の勝利の女神『ニーケ(nike)』が出てきたことからです。
そして、『スウッシュ』とは勢いよく動くという意味の英語で、躍動感やスピード感を表現していて、ロゴのデザインは、『ニーケ』の翼をモチーフにしています。
独立後のNIKE
独立後は、戦略的な広告キャンペーンと積極的に製品開発に力を注ぎました。
世界で75,000人もの従業員を抱える大企業へ成長し、売り上げ金額は、3兆円8000億円(2018年)です。
今、現在、世界で一番売れているスポーツ用品メーカーとして認知されており、今後も大注目のスポーツブランドです。
NIKEのスニーカー4選
コルテッツ
NIKEの中で歴史の長さNo. 1のスニーカー『コルテッツ』。
1972年に製造開始。
軽量でクッション性に優れ、快適な履き心地から人気から出ました。
シンプルながらも飽きの来ないデザインをしており、カラーバリエーションが豊富でレザーやスエード、ナイロンといった素材でも作られています。
膨大な種類があり、どんなスタイルにも合うことから現在でも作られ続けています。
エアフォース1
1982年に発売開始。『エア・フォース1』は 『ナイキエア』を搭載した世界初のバスケットボールシューズです。
発売当初はハイカットのみがラインナップ。フィッティングを高めるためのアンクルストラップなど当時は最新の機能を備えていました。
翌年、ローカットがラインナップしました。
1984年に製造中止となりますが、ボルチモアにあるスニーカーショップの熱望によりNIKE史上初めての復刻。NIKEの定番商品へとなります。この話は面白いので、後日深掘りしますね。
エアフォース1といえば、『White on White』と呼ばれるオールホワイトカラーのデザインを思い浮かべる人も多いと思います。
僕もよく履いてました。特に90年代に流行ったモデルのやつ。
ちなみに90年代のヒップホップ界で、汚れのないオールホワイトのエアフォース1は、成功の象徴と言われています。
エアフォース1=成功の象徴
1990年代、ヒップホップが盛り上がっていた、アメリカニューヨーク・ハーレム地区。貧富の差が激しいこの地区で、ヒップホップで飯が食えるのは一握りでした。
そんな地区で、白いエアフォースが流行っていましたが、売れない人は靴を買い替えるお金がなくて、白いエアフォースはどんどん汚れていきます。
一方、売れた人は、白いピカピカのエアフォースを買い替えることが出来て、つねにピカピカの白色をキープ出来ました。
やがて売れたら買い替えることが出来るという成功の象徴としてエアフォース1は履かれました。
この話を聞いたときは、NEW ERAのサイズシールを剥がさずにかぶる文化を思い出しました。
NEW ERAの場合『俺は、いつも新品の帽子をかぶっている』
エアフォース1の場合『俺は、つねにピカピカの新しい靴を履いている』
帽子は、そんなに汚れないため買い替えなくてもいいですが、白い靴の場合は、大変ですね。
成功者だけが買い続けることが出来たこの靴は、今やヒップホップだけでなく色んなジャンルの人に愛されるようになりました。
エアジョーダン
NBA界のカリスマ的プレイヤー、マイケル・ジョーダンがモデルとなった『エアジョーダン』。
販売以降、多くの人を魅了しています。エアジョーダンの特長は、斬新な色使いとデザイン性に優れているところ。
売れるきっかけとなった、こんな逸話があります。
マイケル・ジョーダンの逸話
1985年にエアジョーダンが発売されましたが、当時のNBAでは、カラフルなシューズの使用は禁止されていました。
マイケル・ジョーダンは履く度に罰金約50万が課せられていました。
それでもエアジョーダンを履き続けてプレイするマイケルジョーダン。
そんな度重なる罰金を肩代わりしたNIKEはこんな広告を出します。
『NBAはジョーダンにシューズの着用を禁止したが、君たちが履くことを禁止できない』
これがきっかけとなり、世界的に有名なスニーカーとして認知され世界中で売れるスニーカーとなりました。
エアマックス
『AIR MAX 』(エアマックス)といえばNIKEが誇るハイテクスニーカーの最高傑作とも言えるモデル。
何度も復刻が出て、その度にニュースになるので、知ってる人もかなり多い印象です。
1987年に最初のシリーズである、エアマックス1が誕生。
30年以上経っても色褪せないカッコ良さがあり、いまだに人気があります。
エアマックス1が成功を収めた理由の一つにソール内部のエアを小窓と言われるソールから見えるデザインにしたことです。
デザイナーのティンカー・ハットフィールドがパリにあるポンピドゥーセンターの建築デザインからヒントを得て、ミッドソールにウインドウを設けるデザインを思いついたといわれています。
エアマックスは、年代ごとにデザインや機能が違ったり、復刻モデルもあるので、種類が膨大です。
特に有名なのは、1995年に発売された『エアマックス95』。NIKEで初めて前足部のエアまでも可視化されたスニーカーです。
デザインの元ネタが人体解剖学の本です。
たしかに肋骨に見えなくもない。
近未来的なデザインで社会現象が起きるほどの人気がでました。
1990年代後半に訪れるハイテクスニーカーブームの火付け役となり『エアマックス狩り』が起きる事態にまで発展しました。
「エアマックス狩り」
当時のエアマックス95は、人気がありすぎて、つねに品薄状態。
その結果、エアマックス95の新品、中古価格が高騰します。何倍も金額が上がり、10万円以上となります。偽物販売も多く話題になりました。
そんな中、エアマックス95を履いた人物を襲撃して奪い取る事件が頻発します。奪われたエアマックス95は、私物化、転売されるなど大きな社会問題となりました。
『エアマックス狩り』と呼ばれたこの事件は、エアマックス95の人気を語る上で切り離せない話となりました。
これだけは、抑えたい
今回は、『NIKESB』(ナイキ エスビー)です。
NIKE SBとは、『NIKE SKATE BOARD』(ナイキスケートボード)の略です。
2002年にNIKE SBが始まりましたが、スニーカーは全てスケートボード仕様。
インソール部分にエアを搭載し、世界中のプロスケーターが愛用しています。
スニーカーだけではなく、ウェアやバック、小物も展開しておりカッコいいですよ。
周りの人達と差をつけるなら、これですね。
ストリートブランドや有名プロスケーターとのコラボアイテムもたくさんリリースしています。
その中でも代表的な『ステファン・ジャノスキー』というモデルは人気で、どんなスタイルにも合うと話題になりました。
シンプルイズベストを体現しているスニーカー。
NIKEが欲しいけど、よく分からないという方はNIKESBをまずは、手にするといいと思います。
他にもバックなんかカッコいいですけどね。
以上、NIKEの深掘りでした