今回は、1940年代の歴史やファッションをざっくりと解説していこうとおもいます。
1940年代は、ズートスーツ、M47カーゴパンツ、リズムアンドブルースの3つが誕生した時代です。
ズートスーツ
ズートスーツとは、1940年代の過激なスーツスタイルです。
ズートスーツの特徴
- 丈の長い上着
- ダボダボのパンツ
- 頭には幅広のハット
- 腰から懐中時計用のチェーン
まさに現代のスーツトレンドとは対極のスタイルですね。
当時、この独特のファッションをする人達は、ズートスーターと呼ばれていました。
ズートスーターの多くは、黒人やパチューコと呼ばれたメキシコ系のアメリカ人の若者でした。
いわゆる不良です。
1939年に始まった第二次世界大戦の影響で、アメリカ国内でも物資の節約が奨励されていましたが、ズートスーツは生地をより多く使う派手なファッションのため反社会的に見られていました。
オーバーサイズの服を身に着けて着飾ることが、パチューコの自由と反抗心を表していました。
ズート・スーツ・ライオット
1943年6月3日にロサンゼルスでズート・スーツ・ライオット(Zoot Suit Riots)という暴動が起きました。
ロサンゼルスの海兵が、ロサンゼルスに住む二世在米メキシコ人の若者を攻撃したことが暴動の火種になりました。
暴動の原因
この暴動のきっかけは、以前から積み重なるパチューコと海兵の喧嘩の復讐です。
暴動では、海兵50人が参加し、街中のパチューコのズートスーツを脱がせて山積みにして燃やしました。
争いは、1週間続き、ズート・スーツを着ていない黒人やメキシコ系の人々も攻撃されました。
その時のロサンゼルスの警察は、この暴動を止めずにパチューコ達だけを逮捕していきました。
暴動から明るみに出た人種差別
この差別行為は、大変な問題を生みました。
結果的に米軍サイドは、自分達の軍人をロサンゼルスに出入りすることを禁止にしてロサンゼルス市会はズート・スーツを着る事を禁止にしました。
そしてメディアもこの暴動に加担していると言われています。
ロサンゼルス新聞は、パチューコの暴力を優先的にレポートしたり、軍人の暴力を取り上げない報道をしていました。
ズート・スーツ・ライオットは、1930年代の人種差別が浮き出た問題として今も有色人種アーティスト達に記憶されています。
キャブ・キャロウェイ
黒人ジャズメンやパチューコに愛用されたズートスーツをこの世に広めたのは、『キャブ・キャロウェイ』というジャズメンです。
『ブルースブラザーズ』にも出演していた有名人です。
ちなみにズート(ZOOT)とは、もともとジャズ用語で、演奏者への「掛け声」の掛け方、又はジャズ演奏に対する「合の手」という意味を持ちます。
彼のエンターティナーぶりはそのズートスーツのスタイルにより、いっそう力強いものとなりました。
面白く黒人文化を紹介しながらも、黒人文化というものを誇りあるものと捉えていたキャブ・キャロウェイの考え方は、当時としては実に進んだものでした。
彼のズートスタイルは黒人とパチューコのファッションアイコンとなりました。
ちなみに典型的なズートスーツは40年代初頭で日本円にして5万円から8万円に相当し収入の低い若者が買うには高額な衣類でした。
あと、身近なズートスーツ着ている人は、映画の『マスクマン』ですね。
コテコテのラブコメディーが癖になります。
M47カーゴパンツ
カーゴパンツとはその名前の通り、貨物船で作業する人達が使っていたワークパンツ(CARGO=貨物)のことです。
1940年代頃からミリタリーアイテムとして採用され始め、総称して カーゴパンツ という名称で呼ばれるようになり、現代に至ります。
カーゴパンツの特徴
- 厚く丈夫な生地
- 腰をかがめた時にも物の出し入れができる左右の大きなフラップポケット
- ミリタリーで採用されたため落ち着いた色が多い
カーゴパンツの中でも名品と呼ばれるフランス軍のM47カーゴパンツは、1947年に正式採用され、60年代まで生産されていました。
M47の前期と後期の特徴
M47は、『前期モデル』と『後期モデル』の2種類に分けることができます。
『前期モデル』は、1940年代~1950年代に生産され足元までワイドなシルエットと厚手のコットンツイルを使用しています。
『後期モデル』は、1960年代に生産され前期と比べると少し細めのシルエットと、薄手のコットンヘリンボーンに変更されています。
前期と後期を区別するにはフロントボタンの数が重要になります。
フロントボタンが縦に2つ付いている前期モデルに対し、後期モデルはボタンが1つです。
前期モデル
- 1940年代~1950年代に生産され足元までワイドなシルエット
- 厚手のコットンツイル
- フロントボタンが縦に2つ付いている
後期モデル
- 1960年代に生産され前期と比べると少し細めのシルエット
- 薄手のコットンヘリンボーン
- フロントボタンが1つ付いている
完成度の高さ
M47を語る上で有名な話を1つ紹介します。
ファッションデザイナーのマルタン・マルジェラがフランスのファッションショーに裏返したM-47をモデルに履かせて登場させました。
その理由が『フランスの縫製技術を世界に示すため』というところも、その完成度の高さを裏付けています。
それ以来、多くの支持を受け、爆発的な人気がでます。
細部まで丁寧に作り込まれたディテールとデザイン性の高さ。
そしてコットン素材特有の経年変化がカッコよく、いつしか『名作』と言われます。
現在も数多くのブランドが、M47をデザインの元にしてパンツを作っています。
R&B(リズムアンドブルース)
1940年代後半、ズートスーツで紹介したキャブキャロウェイなどのアーティストが演奏していたジャンルを ビルボード誌が音楽マーケティング用語としてジェリー・ウェクスラーが『Rhythm&Blues(R&B)』と提案し、これが採用されて、呼ばれるようになりました。
1930年代後半からアフリカ系アメリカ人によって親しまれてきたブルースの影響を受けた音楽という意味合いでした。
『R&B』生みの親ジェリー・ウェクスラー
リズムアンドブルースと呼ばれる前の黒人音楽は『レイスミュージック』と呼ばれていました。
1920年代のブルースのレコードにはレイスミュージックと記されており、その他ジャズやゴスペルなども含めてあらゆる黒人音楽だけがそのように呼ばれていました。
『レイス』とは人種という意味です。
そして、この表現は若干差別的で物議を醸し、ビルボードは新しい名前に変更しようします。
その時のビルボードのスタッフ、ジェリー・ウェクスラーが『Rhythm&Blues(R&B)』と提案し、採用されます。
1953年、アトランティック・レコードの共同経営者になり、音楽プロデューサーとしての活動が始まります。
この時代に、レイ・チャールズやドリフターズを手がけ、アトランティックはブラックミュージックの一大レーベルになりました。
後に、リズムアンドブルースは、ソウルミュージックやファンク、ブラック・コンテンポラリー、といったジャンルに派生していったとされています。
初めはバンド色が強かったリズムアンドブルースですが、時代が進み、技術の進歩と共に様々な変化を遂げていきました。
1940年代の終わり
1940年代を振り返ってみると、戦争や人種差別の問題に反発した結果、ズートやリズム&ブルースが生まれ、文化が形成されていったのかなと感じます。
民衆が生み出した、カウンターカルチャーと言えます。
1940年代は第二次世界大戦の影響もあり、少し暗いイメージがありますが、1950年代は、アメリカが輝いた黄金の時代と言われています。
アイビールックと呼ばれるファッションスタイルやロックスターの誕生など華やかな時代へと続きます。